ユング心理学の老賢者とは?元型としての老いた導き手を簡単に解説!

ユング心理学解説

▶ はじめに――賢者は、物語の途中でいなくなる。

ガンダルフはモリアの橋でバルログと共に闇へ落ち、オビ=ワン・ケノービはダース・ベイダーの剣の前で自ら剣を下ろし、ダンブルドアは塔の上から夜の中へ落ちていった。三人とも、主人公が自分の足でもう一度立ち上がる直前に、物語から姿を消している。

助けてくれるはずの人物が、なぜよりによってそこでいなくなるのか。偶然が三回重なった、では済まされない話である。

この「老いた導き手が去っていく」という繰り返しの奥に、スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングが「老賢者(Wise Old Man)」と呼んだ元型が横たわっている。

▶ 老賢者とは何か――父性を纏った智慧

ユングはこの父性的な人物像を、集合的無意識に眠る元型のひとつとして位置づけた。経験に裏打ちされた知恵、道理をわきまえた理性、そして揺るがない判断力——老賢者とは、これらを一身に纏った深い哲学者のような像である。

無条件に甘やかしてはくれない。悪事には厳しく罰を下し、それでいて正しい道への一歩を示してくれる。おとぎ話の主人公が万策尽きたとき、決まって現れるあの人物である。

時には異国から、時には異なる時代から助言をもたらす。輪郭の薄い、半分は人間ではないかのような姿で現れることも珍しくない。中世の騎士物語なら魔法使いとして、山にこもる世捨て人として——形は変われど、機能は変わらない。

物語の中だけの住人でもない。夢分析の記事で見た通り、元型は夢という回路を通って意識に顔を出す。老賢者もまた、日常の眠りの中に現れる代表的な人物像のひとつである。杖を持った老人が夢に立ち、忠告を残して消える。目覚めた後もその忠告だけが妙に鮮明に残っている、という経験に覚えはないだろうか。

▶ もう半分の自己――グレートマザーとの対

この対をなす相手が、グレートマザーについての記事ですでに扱った太母である。あの記事の太母は、すべてを包み込む慈愛として現れることもあれば、すべてを飲み込む恐怖として現れることもある、両義的な元型として描かれていた。

あの記事で見た元型は、地面に口を開けた谷や、底の見えない洞窟のイメージで立ち現れていた。老賢者はその対極に立つ。切り立った峰、あるいは空を舞う鷲——大地に沈み込むのではなく、天へ向かう軸として描かれる。太母がすべてを包み込み、命を育む原理だとすれば、老賢者は物事を筋道立てて見通す、理性の原理である。

対立する像でありながら、どちらも同じ元型の異なる半面だという見方がある。自己(Self)——ペルソナという表の顔とシャドウという裏の顔、その両方を含めた精神全体を統括する、あの中心である。河合隼雄は、自己が人格化されるとき、男性の夢には老賢者として、女性の夢には知恵を司る女神として現れると整理した。

老賢者の居場所は、これだけにとどまらない。ユングはさらに、アニマ・アニムス——男性の無意識に潜む女性像、女性の無意識に潜む男性像とされた、あの元型——との関係も整理している。男性の心の中では、アニマと老賢者は父と娘のような結びつきを取り結ぶとされた。女性にとっての老賢者は、アニムスの一側面を担う。老いた賢者は、自己という中心だけでなく、異性のイメージを含めた心全体の地図の中に、あらかじめ場所を与えられていたわけである。

▶ マナ人格という正体

白状すると、老賢者を単なる「優しいおじいちゃん」だと思っていた時期が、こちらにもある。だが、マナ人格という言葉を知ってからは、そう単純には見られなくなった。

マナという語は、もとはメラネシアの言葉である。人類学者コドリントンが19世紀末に報告したもので、人にも物にも憑き、伝染し、持ち主を選ばずに移り渡っていく非人格的な力を指す。呪術師の杖にマナが宿れば、杖そのものが特別な力を発揮するとされる。ユングはこの人類学の概念を借り、無意識の中の元型のうち、圧倒的な魅力と支配力で意識を惹きつけるものを「マナ人格」と名付けた。

老賢者は、このマナ人格の代表例である。生育と活力の根源を象徴する存在であり、単なる助言役ではない。精神に意味を吹き込む、魂の導き手である。

問題は、この力が誰のものでもないという点にある。マナは本来、持ち主を固定せず、伝染し、移り渡っていく力だった。元型としての老賢者を意識化し、統合しようとする過程で、その力は自我の側へと吸い寄せられがちだとユングは指摘している。統合とは、本来、力の出どころを理解することのはずである。だが実際には、統合しかけたその瞬間に、力だけが先に自我へ流れ込んでしまうことがある。

▶ 老賢者に「なる」ことの危険

力を託される存在に、なりたいと思うのは人情である。だが、ここに老賢者という元型の、最も鋭い刃が潜んでいる。

自我が元型と一体化してしまう現象を、ユングは「インフレーション(自我肥大)」と呼んだ。集合的無意識の記事で紹介した青年の症例を覚えているだろうか。激しい失恋で自我が揺らぎ、川面に映る星を眺めながら「天文台に、自分のための宝が用意されている」と確信するに至った、あの青年である。マナ人格の力が自我へ流れ込んだとき起こる事態は、これと同じ機制である。

導く側に立ったつもりの人間が、自分こそが唯一の答えを知っていると信じ込み、他者の言葉に耳を貸さなくなる。カルト的な教祖、独善的な指導者——現実の歴史の中に、この元型に飲み込まれた者の実例は数え切れない。杖を持つ資格があると思い込んだ瞬間、その人はもう賢者ではない。

規模の大小は問わない。最初は素朴な気づきを語っていただけの発信者が、支持者の熱狂に応えるうちに、自分こそが特別な導き手だと思い込んでいく。自己啓発やスピリチュアル系の界隈で繰り返されてきたこの経過も、マナ人格に呑まれていく過程の、規模を変えただけの変奏である。

▶ 去っていく理由――退場という贈り物

物語の型として、導き手は主人公の成長と引き換えに退場する。騎士や英雄が一人前になったと物語が認めた瞬間、老賢者を演じてきた人物は死ぬか、何らかの形で舞台を去っていく。

ガンダルフの復活、オビ=ワンの死後も響く声、ダンブルドアの不在が動かす後半の物語——去った後も、彼らの言葉は主人公の内側で機能し続ける。

外側にいる賢者が姿を消すのは、偶然の演出ではない。声を外に置いたままでは、その知恵は最後まで借り物のままだからである。杖を持った老人が消えたとき、初めて、その分別は主人公自身のものとして根を張り始める。

この内在化を助ける具体的な回路が、夢分析や積極的想像法である。外の賢者がいなくなった後も、夢の中に、あるいは静かに想像を巡らせる中に、同じ像はたびたび戻ってくる。声は消えていない。足場が、外側から内側へと移っただけである。

▶ 現代科学から見た批判

都合が良すぎる話だ、と思われても仕方がない。老いた賢者が指導し、去っていくという型が、ほとんどどの神話にも見つかるなら、それは元型の証拠ではなく、単に物語として都合が良いからそうなっている、という疑いは当然出てくる。

物語論の立場からは、もっと簡潔な説明が可能である。文字を持たない社会では、長く生きた人間ほど、狩猟の知識も、季節の読み方も、危機の乗り越え方も多く蓄積している。老いた人物が知恵の象徴として物語に置かれるのは、集合的無意識を持ち出さずとも、経験の蓄積という現実的な理由だけで説明がつく。

脚本作りの都合という、もっと身も蓋もない説明もある。主人公が最後まで師に頼っていては、成長の物語として成立しない。指導者を退場させることは、単純に、主人公を一人にするための装置である。

神話学の側にも、似た指摘を組み立てた研究者がいる。世界中の英雄譚を比較したジョーゼフ・キャンベルは、導き手が旅の途中で退場し、主人公を独り立ちさせるという展開を、文化を問わず繰り返し確認できる「型」として整理した。ただし、そのキャンベル自身の枠組みも、多様な神話を後から一つの鋳型に押し込めているという方法論上の批判を免れているわけではない。

集合的無意識の記事でも触れた反証可能性の問題は、ここでも同じ姿で現れる。賢者が現れれば元型の表れだと言え、現れなくても表に出ていないだけだと言える。この理論の枠組みは、どんな物語を持ってきても、後から辻褄を合わせられてしまう。

加えて、老賢者を男性、対応する知恵の女神を女性の側に振り分けるユングの整理も、現代の視点からは異論の余地が大きい。男女の心をあらかじめ対称な鋳型に収めてから理論を組み立てている点は、後年何度も批判の対象になってきた。

▶ 声が消えるとき

批判に晒されてもなお、この元型が捨てられない実感を伴うのはなぜか。おそらく、誰の記憶にも、こういう人物が一人はいたからである。

進路に迷ったときにかけられた、素っ気ない一言。失敗を厳しく指摘してきた、あの教師。名前も忘れかけているのに、判断に迷うたびに、その声だけがまだ耳の奥に残っている。

老賢者とは、結局のところ、いつか自分の内側に移し替えられるはずの声である。杖を持った誰かが目の前からいなくなったとき、それでもまだ迷わず歩けているなら、賢者はもう外にはいない。

——では、あなたの中でまだ声だけを残して姿を消さずにいる老賢者は、誰だろうか。

■ 関連用語 | 用語 | 一言で言うと |

| [老賢者(Wise Old Man)] | 経験・理性・判断力を纏った父性的な元型 |

| [マナ人格] | 超自然的な力を帯びた人格。生育と活力の根源の象徴 |

| [グレートマザー] | 老賢者と対をなす、自己のもう半分の元型 |

| [自己(Self)] | 老賢者・グレートマザーが人格化された姿で現れる、意識と無意識の統括中心 |

| [アニマ・アニムス] | 男性に潜む女性像・女性に潜む男性像。老賢者と父娘的な関係を結ぶとされる|

| [夢分析] | 老賢者が意識に顔を出す回路のひとつ。内在化後もここで再会できる |

| [インフレーション(自我肥大)] | 自我が元型と一体化し、全能感を抱く危険な状態 |

| → [個性化(Individuation)] | 外の導き手の声を、自分自身のものとして統合していく過程 |

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